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2008-02-03

スクワットハウス その1

金曜の夜は、Goldsmiths autonomy gorupのメンバーのHelenの家でパーティがあるよと誘われたのだけれど、-1度まで冷え込むという予報を聞いて、9時ぐらいまで行こうか行くまいか迷って、やっとこさ重い腰をあげて、自転車でよっこらほっこらと、ツンと冷えた2月の夜道の中をこいで行った。ロンドンの南、ブロンクス方面はあまり来た事がないし、まして夜なのでどこを自分が走っているのかは、ところどころのバス停の地図に頼るしかないけれど、学校と家との通学ルート以外を夜に走るのは気持ちがいい。
息を吸えば、ひゃっこい空気が口の粘膜にぴったりくっついて、そのまま喉の奥へと霧のように吸い込まれて行く。自転車には前方のライト、ボクの手には手袋、頭にヘルメット、鞄には後方用の赤いライト、そして黄色い蛍光のちゃんちゃんこみたいなやつを羽織って自転車をこぐ。基本的に車道走行が義務づけられているこちらの自転車では、安全の為にはどれくらい気をつけても足りるということはない。ボクは、あまり自動車道を走るのがいやなので、よく人がいない時は歩道を走るのだが。

途中迷って、一時間くらいしてやっと到着したら、Herenは風邪で実家に帰ったよ。とのこと。せっかく来たので、誰も知らないけれどいいやと思い、そのまま中に入った。まあ、Helenの友達関係ということでみんな、やっぱりアナーキーな仲間が多い。でも、最近に実感するのは、アナーキーな奴のほうが、とても気さくで、親切で、偏見があまりない人が多いということ(もちろんボクの主観なので、全部がそうとは言わない)。知らない物同士や違う人種や国籍でもするすると話が弾んだり、真剣に耳を傾けてくれたりする。人種差別的なことで嫌な思いをしたこともない、もちろん権威主義、ナショナリスティックな自意識が引き起こす他者差別的な発想が嫌いだからアナーキー(反-権威)に親和的なんであって当然と言えば当然かもしれないが、まあ、居心地の良い場所だった。

自家製ビールをもらい、「いいねえ、この家」と言うと、Helenのフラットメイトが「あら、ここ、スクワットハウスよ」と言ったので、ちょっと驚いた。というのも、そこは、ボクが借りてシェアしている、レンガ二階建ての郊外住宅と同じ外観、間取りだったからだ。スクワットというのは、ヨーロッパや北アメリカで80-90年代に盛んだった、見捨てられ放置された空家を自力で改装して、棲みつくというもの。誤解されがちだけれど、べつに誰かすんでいる人の家に押し入り強盗みたくして占拠するわけじゃない。「屋根の下で暮らす」生存の権利として、見捨てられた家々(80年代のイギリスの不況時は、こうした空き家がたくさん点在していたそうだ)を自分たちが住めるようにして、無料で(ということは家賃0円)で棲みつく。それは、家賃を払うという考え方に根底的に疑問府を突きつける考え方だ。お金がないというのはもちろんあるが、むしろ、家賃とは何か?というところから始めると良い。日本では、ほとんど想像だにしなかった考え方だが。簡単に言えばこうだろう、『それまでは誰のものでもない土地を「ここは、俺のだー」と声高に叫んだ強欲な男の、私有欲まみれの主張から、土地法が作られ、そのがめつい宣言が法として正当化され、それ以降は、それより後に生まれた人間というだけで、未来永劫、そのがめつい男の子孫達に「家賃」という名目の「貢ぎ」をし続けなければ、地球の上で生きて行けない。そんな考え方は馬鹿げている!!』という発想からヨーロッパのスクワット文化は来ているだろう(だいぶ、乱暴な略だが)。
アメリカでも80年代、90年代と盛んだったが、彼らの主張は「アメリカという国家の建国自体が、インディアンの住処を虐殺によって奪いとった、暴力で行われたスクワットを起源としているという歴史的事実がある以上、土地の所有権という概念があえて許されるのはインディアンの人々だけで、白人の地主や資本家がそれを主張することはできるはずもない」という考え方だ。 つづく

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