
風倉匠さん71歳(かざくら・しょう、前衛美術家)13日、肺がんのため死去。近く近親者のみで密葬を行う。
1936年、大分市生まれ。武蔵野美術学校在学中の57年に大分市内で地方演劇公演の幕間を借り、ピアノのいすから何度も落ちる「ハプニング」(現在のパフォーマンス)を敢行。60年には吉村益信、赤瀬川原平、篠原有司男さんらと、従来の芸術概念に反旗を翻す前衛芸術集団「ネオ・ダダ・オルガナイザーズ」結成に加わった。高い梁(はり)から床に飛び下りるなど体を張った伝説的活動で知られ“幻のハナー”と呼ばれた。
79年に大分県に帰郷。80~90年代はバルーンに入って動き回るパフォーマンスで再び注目を浴びた。福岡市中央区の「ギャラリーとわーる」で18日まで絵画中心の個展を開催中だった。
毎日新聞 2007年11月13日 23時51分
風倉氏を、3年前のちょうど今頃、美術家 川俣正の「コールマイン田川」に参加した時に目にしたことがある。田川の旧炭住(注:炭坑住宅のこと)の一角にできたギャラリーのオープンハウスの時に開かれた、川俣さんと風倉さんの対談の時だ。
参加者全員が白いヘルメットをかぶり、11月の筑豊の山の冷気が入り込むコンクリートの部屋の中で、小柄だが背筋をスッと伸ばし、深い彫りをした表情を凛とさせた初老の男性が、その人だった。当時は、僕はまったくどんな美術家なのか知らなかった。ただ、東京という、近代における美術•文化の生産地からあえて身を遠ざけた、その身振に興味を覚えた。まだ、僕が東京>その他の地方という単純明快な近代的地政学の図式を信じていた時でもあった。
川俣さんが、ナショナリズムについて話を振った時、「僕は、戦争が終わった時から、国家というものを信じなくなった」と固い口調で言い切ったのを覚えている。
対談の後の帰りの車の中で、川俣さんが「たとえ、どこであろうといい仕事を続けていれば、誰かが見てくれるんだよな」とうれしそうに、呟いていたことも。
•川俣正「コールマイン田川」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~onthetab/newfiles/kcmt/kcmptj.html
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