
10日の土曜日に、イスラエルのパレスチナ、ガザ自治区への攻撃に反対する世界同時デモが行われた。その日、ロンドンでも、ハイドパークのスピーチコーナーでの抗議集会とイスラエル大使館へのデモが行われるということを知り、宿泊しているグリニッチから地下鉄でマーブルアーチまで向かう。車内には、パレスチナの旗を持ったチャドル姿の親子や、シュマーグ(パレスチナスカーフ)を首に巻いた若者の姿を見かける。皆、黙ったまま、じっと何かを待ち受けるように座っていた。降りたホームにはすでにデモに参加する人で溢れんばかりになり、あまりの多さにエスカレーターが壊れて停止していた。その日のロンドンは、真冬の空に、うっすらと霧が立ちこめていて普段であれば、静止したように音のないであろう冬のハイドパークが、この日だけはその様相を全く違うものにしていた。
昨日、ハイドパークで見た光景をどう表現すればよいのかとても難しい。それは、まさに人々とパレスチナの旗、イスラエルの攻撃に反対するプラカードが渾然一体となったうねりがそこにはあった。数万はあろうかというプラカードがずうっとむこうの演説台まで埋め尽くし、演説者の言葉に一つ一つ呼応し、揺れている。イスラエルの攻撃にたいする厳しい口調は、大きな声や叫びを人々から引き出す。10万人もの人々が今、その時に世界の別の場所で起きている出来事に対して、いてもたってもいられずに家を飛び出し、冷たい空の下に公園に集おうとしていた。
London Gaza Protest 10 Jan 2009 - P2, Gerry Adams - Sinn Féin, Jewish Mike Cushman, Ken Livingstone
London Gaza Protest 10 Jan 2009 - P4, Children read out names of Palestinian Children, Brian Eno
演説が終わった後に、マーチが出発する。霧に包まれた冬の公園をまたぐ10万人の行進。もし、歴史が風景としてたち現れるのであれば、こんな風であっただろうと思う。パレスチナの黒、赤、白、緑の旗、それぞれの反戦団体の手作りの旗、コミュニストの赤旗、アナキストの旗、そしてたくさんのプラカードが、白い霧の中にいくつもの斑点模様をつけていく。パレスチナの女性達の顔の大きなパペット。カラフルな造形とペイントを施した改造式自転車(音楽を流しながら!)、胸を赤く染めた赤ん坊の人形を持って行進するアラブ系の母親たち、そして、トラメガを肩掛けて自分たちのグループを引率している若者、母親に手を引かれ歩く子供達、お年寄りの夫婦、アナキストの若者達、そして、なにより元気づけられるのが、マーチングバンドのドラムの音(太鼓の音の周りには、いつも子供達の笑顔がある!)
数千キロ離れた場所でおこっている惨劇に、自分の目と手と足がいやおうなく突き動かされるからこそ、路上に向かう人たちの行進の足音はゆっくりとしかし、確実にしっかりと一歩一歩進んでゆく。自分たちの考えや、意見をどこにぶつけるべきかを知っている。だから、行進はいつもその声を、届けるべき相手の所まで持っていこうとする。直接、自分たちで、してはいけないこと、されてはいけないことを、それをしようとしている相手に面と向かって言いにいく。これが、民主主義の本来の姿だと思うし、民主主義という言葉が本来、誰の手にもたらされるべきなのかを示していると思う。
けれども、現実には、これらの声はのゆく先には、いつも警察が先回りしてブロックしている。警察官に囲まれ、守られた場所、つまり大使館、官庁、高級住宅、銀行は、このとき本来のどのようなものであるのか、はっきり見て取れる。それらは、特定の階級の人間達の利益こそ代表すれども、路上にあつまる人々の声や政治的願望、経済的利益をいっさい顧みない機構だということ。そして、警察はそれらを守るために、路上の人々をこん棒で殴り、牢屋に閉じ込めておくこと公務だと言い張るということ。その証拠に、イスラエルの大使館の門は固く閉ざされ、警察は幾重にも警備している。つまり、パレスチナの人々を殺さないでくれという人々の願いを聞き入れることなどしないという態度そのものなのだ。
Protest in London against Gaza offensive - 10 January 2009
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Hundreds in London protest Egyptian silence on Gaza offensive by idf
デモの途中、道行く道の途中では、ムスリムの人たちがちょっとした空きスペースや角地を利用して、道路に敷物を敷いて礼拝をしていた。アラーの名前を叫びながら行進する若者達や、我々はハマスだ!と叫ぶ女の子の姿もあった。いくつかのスターバックスの窓は割られていた。ロンドンの路上に、政治的なもの宗教的なものを問わず、その他いっさいの情動が流れ込む。特に、イスラエル大使館の前では、警察とデモ隊の一部が競り合い、大使館に向かってたくさんの靴が投げ込まれる。何人かは大使館の前によじのぼって、パレスチナの旗を振っている。人が多すぎて近づけなかったけれども、門の上でアメリカとイスラエルの旗を燃やし、プラカードの棒を投げ入れたりしている。
「フリー、フリー、パレスタイン!」「イスラエル イズ テロリスト ステイト!」「オキュペイション イズ クライム!」暗くなった路上に、チャントがこだまする。路上は、人々で埋まり、右へ左へと行き来する。後方では、歌を歌ったり、その場所で議論が始まったりといくつもの出来事が生まれ始めていた。携帯で仲間と連絡し、警察にブロックされた先を先回りしようとする。警察が張ったスチール製のバリケードは、アラブ系の若者達によって倒されたり、ふたたび警察をブロックする為に並び替えられたりする。夕方から夜にかけて、マーチは、そのまま大使館を通り過ぎる流れと、あくまでも大使館門前にとどまる集団の路上を巡る戦いに分かれていく。後者は、特にアラブ系の若者達が多く、警察に対する怒りをあらわにし、マーチバンドの周りを囲んで気勢を上げ、プラカードから木の棒を抜き、警察の隊列に投げ込んでいく。時間が経つにつれて、路上では、機動隊がせり出しデモ隊を分裂させ、大使館の前から人々を追い払っていった。人々は、バリケードを組み直し、警察車両をブロックするなど試みたが、警察の前進に徐々に押されて、人々はそれぞれの集団や個人単位となっていき、脇道へと逸れていく。
10万人のマーチには、それをただ単にマーチとして終わらせるだけにはとどまらない情動のエネルギーを中に溜め込んでいることも、今回初めて実感した。日本ではあまり想像のつかない事態。路上をめぐる動的な力学の中にデモのもう一つの顔があるということ。人々の集団的情動はつねに溢れようとするエネルギーに転嫁しうるということ。
巨大な暴力機構による、戦争の行使に対する人々の怒り、すなわち理不尽なことが行われていると感じるときに生じる感情は、たとえマーチの中にでも、いつも予測不可能な状況を引き起こすことがあるということ。一見、秩序の亀裂のように見られがちなこれらの場面は、実はこれまでの秩序がもはや無能力的に、つまり暴力を持ってしか、対処できない強い変革の現れを示しているのではないだろうか?
もちろん、このデモ一回きりで、今のイスラエルの暴力が止まることはないだろうし、その恐怖と苦しみのただ中にいる人たちの状況をすぐにでも変えていくこともできないのもまた事実だと思う。ただ、それでも、今行われていることだけは、どうしたって、いくらお天道様が見逃したって、この二つの目玉を通して、一度見たり知ったりしてしまったことを黙って見過ごすことだけはできないという一点で、ちいさくても何かをしてみることからしか出発できないとも思う。
London Gaza Protest 10 Jan 2009 - P8, Protestors get higher and closer to the gates

BBC
Clashes mar Gaza march in London
guardian.co.uk
Thousands march in London protesting Israeli attacks in Gaza
Mail Online
Protesters clash with police as 100,000 strong London Gaza demo descends into violence
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