今日の夜は、コースメイトのDarrenの家で、勉強会と映画上映だったが、勉強会用のテキストを読んでいなかったので、時間をずらして向かったが、二時間経ってもまだ議論していた。下準備無しに彼らの議論に入るのは相当困難、というよりもいい加減な英語でいい加減なことを言えないので、だまってワインを飲んで、議論を追ってた。その後、映画を見ようという話で、Darrenが日本映画(タイトル忘れた)を取り出してきたが、内容はただただグロテスクなだけで、全く見れた代物じゃなかったので、代わりにボクのPCに入っていた、Jean Rouchの「The Mad Masters」を見ることにした。
このドキュメンタリーは、1920年代ー50年代にアフリカ西岸で、移民や出稼ぎ労働者達の間で広まった、Haukaと呼ばれる、宗教結社的な儀式の様子をレンズに映すことで、アフリカが被った植民地支配の暴力の痕跡がどのように、アフリカの人たちによって経験され、どのように受容されてきたかを克明に語る民族史映画の傑作の一つだ。
街から遠く離れた農村の一画で、普段は肉体労働に従事している人々が儀式を通じて狂気を集団で引き起こし、霊的な力を共同で経験/獲得するというのが基本的な内容だが、それは同時に植民地化という、アフリカが過去3百年の間にヨーロッパとの遭遇によって経験した歴史的プロセス、すなわち植民者(ヨーロッパ人)の暴力の歴史の再現でもあるとも言える。儀式は小さい小屋(行政官の館と呼ばれる)と生け贄の執り行われる木の下という2つの地点で行われる。徐々に参加者には狂気が取り憑いていくのだが、それは参加者同士が植民地時代の支配階級の役職(司令官、行政官、警察、医者の妻等々)を名付け合うことで実現されてゆく。このプロセスには、とても矛盾した2つの経験が同居する。つまり、植民者達(つまり暴力を行使してきた側)の職業名と振る舞いを、被-植民者(暴力を受けた側)が引き受け、それを演じるということだ。小屋に掲げられた布切れは「ユニオンジャック」と呼ばれ、木彫りの像は植民地執政官と呼ばれ、木製のライフルを持って歩き回る。目は血走り、口からは泡を吹き、手足は痙攣したまま、生け贄の犬を殺した後それを食べるかどうか、それも調理するか否かで議論は紛糾する。
この議論自体も「会議」と名付けられ、いちいちが「議長」と呼ばれる参加者に報告される。その報告者の足取りは、バッキンガム宮殿の衛兵の足取りにそっくりだ。そして「議長」は「誰もが自分のいうことを聞かない(命令に従わない)」と煩悶し、他の参加者を罵倒する。つまり、ここでは植民地支配における支配のシステムとそれを実行するヨーロッパ人達の振る舞いと感情そのものが、「狂気」の中で演ぜられる。自分たちへの暴力を自分達の中に引き受けることは、ある種「自からを殺すこと」を強いるが、それこそが過去の歴史そのものであり、それ以外に過去とのつながりや連続性を獲得できない。アフリカ西海岸は、もっとも奴隷貿易が栄えた地帯であって、その時代の、「狂気」である以外にいかようにも解釈できない圧倒的暴力としての植民地経験は、ボクの想像を寄せ付けない。
Darrenに、「何で犬の頭を食べたんだろう?」と聞くと、「おそらく犬は、植民地化と共にアフリカに入ってきて、その牙はもっぱら奴隷やNativeの人たちに向けられたから、犬はその時の以来の暴力の象徴になり、その象徴を食う事で象徴的な復讐するのだろう」と返事が返ってきたので、そうかもなと思ったが、ボクはどうやら復讐というよりも、犬を生け贄として差し出すことで、過去の暴力の歴史を可視化させ、犬を殺し、犬の頭を食らうことで、その暴力を象徴的にであれ血肉化する(過去の歴史と現在の自らを接合する)、その暴力の克服の為の処方箋としての役割が多きいのではないかと思う。
なぜなら植民地支配が残した暴力の歴史は、現在に置ける資本主義的な政治、経済システムとして今なお厳然として存在し、参加者達はその下で生きており、植民地の暴力の歴史は、いわば人々の身体の周囲に、日常生活として常に現れている。ただ日常生活における暴力はあまりにも広範囲に渡る社会的諸関係の中にあるもので、その関係は目には見えない、その諸関係を可視化するオブジェクトが犬の頭部なのだろう。
オブジェクトには、観念を凝固化させ、逆照射させる不思議な働きがある。例えば、人は具体的には見たり触れたりできない霊的もしくは観念的な存在を具現化するために、それらを象徴する為の像を形作るが、逆に今度はその像が霊的、観念的な存在を保証するものとして認識される。今度は、人々はその像そのものを信ずるようになるのだ、マルクスはこれを物像化と呼んだ。国旗、貨幣などが現代の良い例だ。ただ、僕らの社会では、そのオブジェ達に手を加える、国旗を焼いたり、お札を破ったりすることは、未だに、一種のタブーとされていることが多い。このHaukaの儀式に置いては、この物像化したオブジェクト(犬の頭部)の価値(ヨーロッパの支配システム)を侵犯することが、犬の頭を食らうという行為において要請されている。それまでは、犬がどのようにアフリカの人々との歴史的経験な関連があるのか知らなかったが、これも含めてまだまだ調べて行く必要があると思う。
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2008-01-28
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